野菜や米を育てるのは、誰にでもできます


野菜を育てて4年、米は2年で、まだまだ初心者ですが、わかったのは、野菜や米はたくさん収穫しようと欲張らなければ、誰でも育てられるということです。

ぼくがしているのは、時期を調べて種を蒔いて、後は草を刈りながら様子を見るだけです。

農薬も肥料も使わず、それで野菜も米も元気に育っています。

米は種籾から育て、野菜も基本的には種から育てています。近所の農家さんに、野菜を種から育てていると言うと、発芽させるのはプロのやることで素人に大丈夫だろうか、というような反応だったことがありますが、種を蒔く辺りの草を刈って、種を蒔いて土を被せておけば、水をやらなくても、そのうち芽を出します。

土が合わないのか、種が古かったのか、いつの間にか草に負けてしまったのか、蒔いたはずの種が芽を出さないこともたまにありますが、それはそれで勉強です。

全部上手くやろうとすると、心配になったりストレスが生じたりしますが、自然任せなので上手くいかないときもあって当然で、上手くいったほうを見て喜んでいれば、田畑にいるのが常に喜びになります。

野菜や米は、それぞれ自分のペースで育ちます。今年、種から育てたミニトマトとマイクロトマトの成長がゆっくりで、夏になっても実がなかなか赤くならなかったのですが、秋になって最盛期を迎えました。「トマトは秋野菜」と誰かが言ってるのを読んだことがありますが、こういうことかと思いました。

ハッピーヒルという稲は、去年は成長がゆっくりで12月に収穫しましたが、今年は今、収穫の最中で、はざ掛けをしていっています。

野菜や米の成長に任せると言っても、人間が適切に手をかすことも必要です。種だけ蒔いて、後は放置しておいて、いろいいろな動植物との共存関係の中で、人間が食べたいものが優位に育ってくれるとは限りません。ぼくは数年前に福岡正信さんの本を読んで、「自然に任せ、人間は何もしなくていい」というメッセージを浅はかに解釈して、種を蒔いて後はなるべく放置しておくのがいいのかと思っていましたが、種を蒔くこと自体が人為であり、それだけしてあとは放置していて人間の食べたいものが人間の都合のいいように育ってくれるわけがないと、野菜づくりを自分で実践してみてようやくわかりました。「自然農法 わら一本の革命」を読んだときは、人為を排除すれば全てうまくいくような気がしたのですが、「無〈3〉自然農法」を読んで、自然に任せる農法がいかに難しいか、それを実践するためにどれだけの試行錯誤が必要かがよくわかりました。作物のこと、それ以外の動植物のこと、土のこと、空気のこと、あらゆる自然環境、そういう総合的な理解が深まってようやく、自然に任せる農法というのが可能になります。

とはいえ、ぼくがやっているように、多くの収量を求めず、失敗しながらでもいい、ということであれば、誰でも簡単に始められます。種を蒔いて、草を刈りながら見守るだけです。

見守っているうちに、野菜や米の声が聞こえてきます。何をしてほしいのか、何となくわかってきます。

今年、稲を刈っていて気づいたのは、根っこが浅いということです。田んぼの上を歩くとふかふかして土は軟らかいのに、どうして根を深く下ろせないのか。土の中の空気の通りがわるいのかもしれないと考えました。田んぼ全体に9つの畝を作り、溝を掘っているのですが、来年はその溝をもっと深く掘る予定です。それと、先日ワークショップに参加した矢野智徳さんの方法(高田造園設計事務所さんのブログ記事を参照)を取り入れ、溝のところどころに縦穴を掘ってさらに空気の通りをよくしようと思います。

大きく構えて自然に任せながら、できる範囲で試行錯誤を重ねていく。そうすれば、田畑の仕事はいつでも喜びになります。


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by 硲 允(about me)
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