「オープンダイアローグとは何か」(斎藤環)を読んで。フィンランド発の対話による精神療法

「オープンダイアローグ」について以前に紹介しましたが、興味深い手法なので、「オープンダイアローグとは何か(斎藤環 著+訳)」という本も読んでみました。






オープンダイアローグとは、フィンランドで生まれた精神医療の新しいアプローチ。

簡単に言うと、薬を使わずに対話によって精神的な病を回復するというものです。

通常、統合失調症は薬物療法が必須だと考えられているようですが、フィンランドの西ラップランドという地方でこの手法を導入したところ、統合失調症の入院治療期間は平均19日間短縮され、薬物を含む通常の治療を受けた患者群と比べて、2年後の予後調査で82%は症状の再発がなく、ごく軽微なものにとどまった(対象群では50%)などの効果が証明されているそうです。

そのアプローチというのは、簡単そうに見えてかなり高度なものに思えました。

オープンダイアローグの発展と普及に寄与してきたユバスキュラ大学のヤーコ・セイックラ教授は、オープンダイアローグが「技法」や「治療プログラム」ではなく、「哲学」や「考え方」であることを繰り返し強調しているそうです。

対話によって患者の回復に寄与するには、小手先の「技法」だけでは通用せず、人間としての総合的な力が求められるに違いないと、本の出てきた事例を読みながら思いました。対話で必要となるのは、共感、忍耐、臨機応変さ、粘り強さ、思いやり、想像力、瞬発力・・・いろいろ思い浮かびますが、それらを総動員して対話相手と向き合うことになります。治療チームにもかなりのストレスがかかるものだと書かれていました。

「技法」や「治療プログラム」ではないといっても、オープンダイアローグを実践するうえで鍵となる要素(key elements)というのは定められており、次の12項目です。


  1. ミーティングには2人以上のセラピストが参加する
  2. 家族とネットワークメンバーが参加する(ネットワークメンバーとは、親戚、医師、看護士、心理士、そのほか本人に関わる重要なメンバーなら誰でも)
  3. 開かれた質問をする(「なぜこのミーティングを開こうと思ったのですか?」「どんなふうに始めたらいいでしょうか?」など、誰でも答えられるような質問のこと)
  4. クライアントの発言に応える
  5. 今この瞬間を大切にする
  6. 複数の視点を引き出す
  7. 対話において関係性に注目する
  8. 問題発言や問題行動には淡々と対応しつつ、その意味には注意を払う
  9. 症状ではなく、クライアントの独自の言葉や物語を強調する
  10. ミーティングにおいて専門家同士の会話(リフレクティング)を用いる
  11. 透明性を保つ
  12. 不確実性への忍耐

この項目だけを見ても、どういうことなのか具体的なイメージがわきにくいと思いますが、本書ではオープンダイアローグの対話例もいくつか載っていて、上手くいった例とそうでなかった例の両方が紹介されています。

ダイアローグの対となるのはモノローグですが、モノローグと芸術に関する一節があり、興味深く読みました。

実は私は必ずしもモノローグを単純には否定できないと考えていて、それはある種の創造行為があきらかにモノロジカルな仮定から生まれてくるからです。病跡学がしばしば画家や小説家を対象とするのは、絵画や文学がモノローグと親和性が高い表現だからではないでしょうか。ヘンリー・ダーガーや草間彌生の絵画表現は、洗練されたモノローグの最高峰と言えるでしょう。逆に音楽家や映画監督が病跡学の対象に比較的なりにくいのは、音楽や映画が基本的にダイアロジカルな表現だからではないかと考えています。(「オープンダイアローグとは何か(斎藤環 著+訳)」p. 58より)

人間は精神的に病むと、モノローグの世界へと引きこもっていくのでしょう。絵画や小説はモノローグでも可能な表現手段ですが、音楽や映画はモノローグでは難しい。「天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々(メイソン・カリー)」という本を見ると、大作を書いた作家は精神的に病んだような人ばかりで、読んでいて気持ちが参ってきたのを思い出しました。

オープンダイアローグというのは、精神的に参ってしまってモノローグの世界に引きこもってしまった人たちをやさしくダイアローグの世界に連れ戻る行為と言えるかもしれません。

オープンダイアローグで治療のターニングポイントが起こる瞬間というのは、「愛」の瞬間だといいます。

分かち合い一体となりつつあるという強い集団感情、あふれ出すような信頼感の表明、感情の身体的な表現、緊張がほどけ身体がくつろいでいく感じ、などです。ちょっと驚くのは、私たち治療者自身が強い感情に巻き込まれてしまうことも、ここに含まれるのです。そのとき私たちは「愛」の瞬間に立ち会っています。(「オープンダイアローグとは何か(斎藤環 著+訳)」p. 177より)

逆に言えば、愛のある人間関係の中に生きている人は、精神を病むことがないということです。そして、愛を取り戻しさえすれば、精神の病は回復するのだというところに希望があります。

オープンダイアログが「技法」や「治療プログラム」でないという意味は、こういうところにあるのだと思います。

人間の身体的・精神的な健康を大きく作用する「愛」というものが、堂々と医学の世界に持ち込まれているところに、このアプローチの新しさを感じます。小手先の「技法」ではなく、人間のもっと根本的なところに目を向ける流れが、これからいろんな分野で広まっていく予感がします。