ブログと会話と文体について、思うことを徒然に。



ブログを毎日書き始めて、前よりもよく話すようになりました。

相方と話していても、前まではぼくがコクコクと頷くだけのことがよくありましたが、最近はちゃんと反応するようになり話し甲斐があるようになったと言われます。

ぼくは気持ちの切り替えがなかなかうまくいかないようで、毎日小説を書いている時期は、書いていない時間もどこかの世界に行って内向的になっていて、現実の世界で話していても反応がわるくなります。人間の内面に関する本を集中して読んだ後なども、宙に浮いたような感じになって、他人とのコミュニケーションがしづらくなります。

ブログは、ぼくの場合、小説に比べて気の持ち方として外に向かって書く感じになるので、「話す」行為に近いようです。「です・ます」調で書いていることもあると思います。ブログを書くまでは、「です・ます調」で文章を書く機会がほとんどなく、最初は独りごとを言っているようで慣れなかったのですが、最近は慣れてきて、こっちのほうが「標準」になってきて、「だ・である調」の翻訳を訳している途中でいつの間にか「です・ます調」にしてしまっていることもあります。

面白いことに、文体によって書くときの心持ちが違ってきて、「です・ます調」で書いていると、外向的な文章になります。ときどき、「です・ます調」だとしっくりこないことを書くときもあり、そういうときは「だ・である調」を織り交ぜています。

「です・ます調」でブログを書くと、「相手あっての文章」という感じになります。その辺も、会話に近いところがあります。会話の場合、その場にいる相手に応じて話しますが、ブログの場合、誰が読んでくれるかわからないので、ぼやっとした複数の相手を想定することになります。SNSでよくリアクションをくれる方や、日頃読んでくれている方のことが思い浮かぶこともありますが、全体のアクセスを考えると、ぼくのことを知らずに検索で訪れてくれる方のほうが多く、さらにぼやっとした相手を想定して書いています。

「だ・である調」で書いた内向的な文章というのは、ぼくのことを知っていて、ぼくが考えたり思ったりしたことに興味のある方には面白いかもしれませんが、見ず知らずの他人には興味を持ってもらえないことが多いでしょう。

「今」というタイトルのエッセイ集を本にしていますが、これは、ぼくが日常の暮らしで考えたことや想ったことをスケッチ風に書いたもので、小説(「庭の花」)やインタビュー(「好きなことを仕事にする」)の本に比べて、興味を持っていただけることが少ないです。

ブログは、短い文脈で、ある程度相手を楽しませることを意識する必要があるのも、会話と似ているかもしれません。会話の場合は、面白くなくてもその場に一緒にいたらとりあえず一区切りつくまで話を聞いてもらえますが、ブログの場合、面白くなかったらすぐに別のページに飛んでいけるのでもっとシビアです。ぼくはサービス精神が足らないところがあるので、その点、ちょっとは訓練になっているかもしれません。


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