ブログの「カタ」について思うことを徒然と。



繰り返しは「カタ」を生み出します。ブログを毎日書いていると、自分なりの「カタ」ができてくるものです。

「カタ」は何かを生産し続ける上で役に立ちますが、うまく扱わないと自由を制限することにもなります。

ブログというのはこういうものだ、という共通認識がある程度存在します。一つの記事の長さはだいたいこの範囲、とか、タイトルの付け方とか、写真の入れ方とか、文体とか。それはそれで、何か意味があってそういうスタイルに収斂しつつ、全体としてゆっくりと変化もしていくわけですが、そういう「スタイル」というものからふっと自由になりたくなることもあります。

どんな「カタ」に自分自身をはめているかを、自分でよく認識しておく必要があります。

ブログという形式自体が一つの「カタ」です。タイトルがあって、本文がある。SNSや検索サイトなどから、タイトルで読むか読まないかを判断してアクセスする。そういう基本的なところからは逃れようがありません

こういう形式だからこそ、生まれる「カタ」というものがあります。

前にも書きましたが、日記とブログ記事の違いとしてぼくが勝手に決めていることは、ブログの場合、1つの記事で、何か役立つことや参考になること、面白いこと、あるいは読んでくれた方の気持ちが前向きになるようなことを入れる、というものです。

参考になりそうなことは見聞きした知識さえあれば書けるのですが、気分に影響するようなことは、自分の気分がよくないとなかなか書けません。気分が参っているときや腹を立てているときは、情報系の記事しか書けません。

もちろん、読んでくれた方が何を思い、どう感じるかは書き手に把握できないことも多々あるので、思いもよらないところで気分を害したり苛立たせたりしていることもあるかもしれません。そういうのをゼロにしようと思ったら、何も書けません。だから、自分でなるべく、自分の文章がもたらす結果を想定しつつ発信していますが、結果が全部予想できないのも、面白いところです。他人を不必要に傷つけるようなことを書くのは避けたいと思っていますが、誰かの気分を害してでも書くべきだと判断して書くこともあります。

ブログを毎日書き始めて約9ヶ月。自分の「カタ」ができつつあり、そこからたまに抜け出したくなりますが、必要に応じて結果的にできてきた「カタ」なので、無理矢理抜け出そうとすると、おかしなことになります。ブログというスタイルで書きたいことは書ききって、ブログでは表現しきれないことを小説で書きたいと思っていますが、今のところ、ブログばかり書いています。


【関連記事】