「ポケモンGO」やめてぐるり見てんまい!ゲームの虚しさについて

香川のローカル線「ことでん(高松琴平電気鉄道)」の琴平駅の構内で、こんな看板を見かけました。


「ぐるりみてんまい」は、讃岐弁で、「周りをよく見てみなさい」といった意味らしい。「ポケモンGO」対策のようです。スマホを見ながらフラフラ歩いている人が増えてきたのでしょう。

近所のイオンでも最近、歩きスマホはやめましょう、という放送がしょっちゅう流れるようになりました。「ポケモンGO」とは言いませんが、最近急に流れ始めたので、こちらも「ポケモンGO」対策でしょう。

「ポケモンGO」をしながら外で集まっている人たちの様子を写真で見たことはあったのですが、先日、高松の海辺で初めて実際に見かけました。



写真で見た通り、なかなか異様な光景でした。

そんなに面白いのかなぁ。暇つぶしという感じでしょうか?

暇があるなら、もっと生産的なことをしたらいいのに、と思ってしまいます。海で釣りでもしたほうが楽しそうですが、釣りをするには、道具を揃えたり、やり方を学んだり、場所を自分で考えたりと、そのための「意欲」が必要です。全部お膳立てしてくれていて、ダウンロードさえすれば簡単に楽しめる、というのがいいのでしょう。

ぼくもゲーム少年だったのである程度わかりますが、ゲームというのは、簡単すぎてもすぐに飽きられるし、難しすぎてもすぐに手放されるので、ちょうどいい難易度で、それでいてちょっとがんばれば達成感が得られて中毒のようになるように巧みにつくられているものです。始めるのは簡単ですが、面白いゲームを一度始めてしまうと、今度はやめるのに努力と自制心が必要になります。

ゲームで何かを集めたり、何かをクリアしたりレベルを上げたりしても、架空の世界で一時的な満足感を得られるだけで、自分の暮らしがよくなったり誰かが喜んでくれるわけでもないので、最初からやらないのが一番なのではないかと思います。

ゲームというのは結局、誰かがつくった世界の中で動かされているだけです。そのルールの中からは出られない。その中でいくらレベルを上げたり何かを集めたりしても虚しいなぁと、あるとき気づきました。

昔、「RPGツクール」というゲームがありました。RPGというのは、架空の世界でキャラクターの力を高めながら敵を倒して物語を進めていくゲームのことですが、その物語を自分でつくれるゲームです。登場人物のセリフを書いたり、街をつくったり。ちょっとやってみたのですが、自分のつくったRPGを誰もやろうとしてくれず、つくるだけでは面白くないのですぐにやめてしまいました。こういうゲームは自分で考えてつくっていく要素があるので頭の訓練になりそうですが、残念ながら流行りませんでした。

調べてみると、Nintendo DS用のソフトとしても発売されていましたが、amazonでは約8割引きで880円に値下げされています。やっぱり流行らないようです・・・


RPGツクールDS+


かつてのゲーム少年の反省としては、ゲームをやっている暇があったら、本を読んだり野山で遊んだりしたほうがよかったなぁ、ということです。画面ばかり見ていると目も悪くなるし。


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