仕事はそんなに甘いもんじゃない? 「甘い」仕事だらけの世の中にしたい。

by Tucker the Telephone Cat / 10228267@N06


学生の頃にちょっとだけ働いていた会社で、一日中電話を掛けまくる仕事をしたことがあります。

ある商品(サービス)を使ってもらえるように、リストにされたあちこちの会社に片っ端から掛けていきます。

どういう言葉使いで話すかも決められていました。それを見ると、「~ますでしょうか?」「~させていただいた」など、自分で話していて嫌悪感を感じるようなやけにへりくだった表現が満載だったので、「~でしょうか?」「~いたしました」などに書き換えました。みんな同じ言葉を使わないと、「データがとれない」と難色を示されたのですが、肯定形にして「~ますでしょう」とか「~ますです」にするとヘンですよね・・・とか、「させていただいた」は舌を噛むので・・・とか言って、納得してもらいました。

「データをとる」というのは、どういう企業に何件掛けて、何件うまくいったか、という統計を出して、次につくるリストの参考にしていくわけです。「そんな細かい言葉使いはあんまり関係ないと思うんやけど・・・」と思ったものです。

いきなり電話をかけても、「営業の電話」だとすぐにわかるので、担当者につないでもらえることすら少なく、つないでもらえても、「いらないです」と言われることがほとんどで、掛ければ掛けるほどめげていきます。

一日に何十カ所にも電話をしていると、さすがに気持ちが参ってきて、毎回気持ちを込めていては身がもたなくなってきます。だんだん機械のように気持ちを込めずに話すようになると、相手の反応がますますわるくなってきました。それはそうで、電話を掛けているこっちが嫌々なのが丸だしのような感じだったので、そんな迷惑な話はありません。

別の人が電話をしたらもっとうまくいくのかもしれませんが、そもそも、この商品(サービス)はそれほど必要とされていないのではないかと思いました。

あまり必要とされていない商品や、自分が自信をもって売りたいと思えない商品を売り込む仕事はもうしたくないと思ったものです。

そんなことを言うと、「仕事というのはそんなに甘くない!」という声も聞こえてきそうですが、そんなに必要とされていない商品をつくって、欲しい人があまりいないのにガンガン売り込んでいかないと成り立たない仕事というのは、もうその仕組み自体がおかしいことになっているのではないかと思います。

モノが不足していて、人間が豊かに幸せに暮らしていくためにはモノをつくることが必要なときには、モノを作って売っていけばいいと思いますが、もう必要なモノが溢れ返っているのに、また同じようなモノやちょっと改良されたモノをどんどん作って、どんどん売って、まだ使えるのに捨てられたモノはどんどんゴミになる。

お金を稼いでいかないと暮らしていけないから、自分がつくりたくもないものをつくる仕事をする人がいるわけです。お金のために、自分のしたくないことをさせられている。

あるいは、お金を大量に稼げば自分の好きなことができると思って、自分がつくりたくもないものをつくる仕事をする人もいます。お金はこの世で生きるために必要不可欠なツールであり、それを得るためには手段(仕事)を選ばない、というようなマインドです。こっちの場合も、お金のために自分のしたくないことをしているわけですが、それによってお金を得て自分のしたいこともできているので、前者よりかは満足感が高いかもしれません。

不足しているのは、自分のつくりたいものをつくって、それによってお金を十分に得られる仕事をしているパターンです。

ぼくは以前は、自分のつくりたいものをつくる暮らしができればお金は大して要らないと思っていましたが、自分のつくりたいものをつくっていくためにもお金が必要なことがわかってきて、このパターンを実現できないか実験中です。

自分がつくりたいものをつくり、他人にしたくないことをさせず、それでいてお互いに不足なく暮らせる仕組みができたら、世の中もっとみんな楽しくハッピーになると思うのですが、どんなもんでしょう?


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