学校の「ドリル」は脳を怠けさせる? 学校教育に飼いならされていました。

「アクティブラーンング」についての記事に続いて、「ドリル」のこと。

「ドリル」・・・そうです、「計算ドリル」とか「漢字ドリル」とか。

小学生のころ、よくやりましたが、「ドリルばっかりやってたらアホになるんじゃないか」と、最近ふと思いました。

計算の仕方や新しい感じを覚えたてのときは練習になりますが、もう覚えてしまえば、あとはただの「単純作業」になります。

「単純作業」になったら、脳はほとんど「自動操縦モード」で怠けてらくらくできてしまいます。パソコン仕事でいえば、ワードにある文章をエクセルにペタペタ貼り付けていくような単純作業です。

作業が簡単にはかどって、できたときにはある程度の達成感がありますが、頭はほとんど鍛えられていません。

ずっと前に読んだ、コンサルタントの大前研一さんの著書で、息子さんがドリルを途中までやって、「以下同じ」と書いて先生に提出した、というようなことを書かれていました。「なるほど、その手があったか!」

当時、そもそもドリルを面倒くさいとも思わず、できた気になって達成感を得ていましたが、意味のない作業も多かったと思います。ところが、今やっている勉強は何のためのもので、その勉強法がどうなのか、というようなことを批判的に考える能力はまだ育っていませんでした。

「教科書に書いていることは正しい」「先生の言うことは間違っていない」

と無邪気に信じていたわけです。

従順すぎたぼくは、先生のことを嫌いだと思ったことも、先生の言うことに反感を抱いたこともありませんでした。見事に飼いならされていたと言えるでしょう。

もっと自分の頭で考え、自分の心で感じ、自分の望むものを生み出していける人間を育てる教育にしていかなければなりません。